三谷かぶき『月光露針路日本 風雲児たち』を見た。
月光露針路日本と書いて「つきあかりめざすふるさと」と読む。
なんと美しいタイトルだろう。
以下極力ネタバレにならないように善処するけど要注意。
役者ひとりひとりが上手いし、細かいところまで見どころがある作品だったけど、私が特に拍手を送りたい部分が3点。
まず、三谷幸喜の本が素晴らしい。
「さすがです」としか言えない。
笑いと哀しみの塩梅が終始絶妙。
序盤船が漂流している場面から始まるのだけれど、辛さの中にもどこか可笑しみがある。笑いがある。
そんな「辛さの中の可笑しみ」がずーっと続いていく。
未来の見えない旅路で何人もが命を落としていく。
当たり前に落としていく。
死を目前に素の自分を見せる者もいれば、八甲田山並みに突然不条理に命を落とす者もいる。
そんな中でも前を向き日本を目指し旅を続ける船乗りたちの日常に笑いがある。
もちろんみなもと太郎先生の原作ありきなんだけれど、喜劇作家って面白おかしいものを書く人じゃなくて、哀しみや苦しみの中にも笑いを見つけていく人のことを言うんだなと…つくづく感じた。
そして、絶妙な笑いと哀しみの塩梅が最後の最後にむちゃくちゃ絶大な効果を発揮するので、その結末は劇場でお楽しみください。
二つ目は音楽が素晴らしい。
新作歌舞伎において難しいのが一番扱いが難しいのが音楽だと思う。
マハーバーラタのように外国楽器を使うものあれば、現代奏者による音楽もあれば、古典にとっても近いものもあれば、「そういえばお唄ってあった?」ぐらいの芝居もある。
どの音楽もその芝居の世界観を作るために選択されたものなので正解だと思います。
ただ私のようなお唄苦手人は、どうしても普段耳なじみがないリズム・日本語が耳に入ってくると、そこだけ理解が追い付かず脳内処理が一時停止してしまうことが多々あることも事実。
英語の授業とおんなじ感覚。セリフは古典でも耳に入るのに……
歌舞伎は常に時代を取り入れていけるけど、唄に関してはどう時代に沿ったものを提供していけばいいのか。
そんな中、今回の「風雲児たち」は私にとってはひとつの理想形ともいえる形だったと思う。
現代人の耳に抵抗のないリズム・言葉を、古から伝わる技術で演奏し唄う。
昔勘三郎さんが「歌舞伎役者がやれば歌舞伎になる」と仰られていたと聞いたことがありますが、今回は「長唄の皆さんが語れば唄えば長唄になる」と言ったところか。
「お唄に苦手意識はあるけど、せっかく歌舞伎を見てんだから聞きたいし、それでいて歌詞が理解出来たら最高なんだけどな」という私のわがままを全て叶えてくれたような音楽でした。
とてもシンプルな着地点なのだけれど、これは長唄作曲・鳥羽屋長秀さん、竹本作曲・鶴澤公彦さん、作調・田中傳左衛門さんのお力の賜物だと思う。
三つ目は役者。
一人一人について語りたいところだけど本当に皆さんが素晴らしすぎたので、“特に”という意味で愛之助さんが素晴らしかった。
幸四郎さんと猿之助さんのゴールデンコンビの中にもう一人誰を入れるかというところで、ドラマ版に出ていたというのもあるけどよくまぁ愛之助さんを入れてくださいました。
三人のキャラクターのグラデーションもいいのだが、芝居のグラデーションがとても良い。
幸四郎さんが台詞回しが歌舞伎のエッセンス多めに対して、猿之助さんが幸四郎さんよりは少し薄め、そして愛之助さんがさらに猿之助さんより薄めのように感じる。
私は三人の中では一番現代人に近いお芝居をされる愛之助さんの目線で物語を追っていた。
愛之助さんもなんだけど、ドラマ等のストレートプレイ経験が豊富な役者さんや、若手役者さんの芝居が総じて素晴らしい。
史実ではあるけどお芝居の世界・江戸時代のお話と切り離して見てしまいそうになるところを、そんな皆さんのおかげで、私たちの生きる今が風雲児たちの生きた時代から地続きであることを体感できる。
異世界の話ではない、地続きだと体感できたからこそ、一番最後の最後の演出も生きてくる。
客席も時代の波にのまれました。
……あぁ、でも本当にね彌十郎さんも男女蔵さんもすごかったし、鶴松さんで泣いたし、船乗りみんなにドラマが見えたし、八嶋さんは空気作るの上手いし、松也さんはもう適材適所とはこのことだし、みんなすごいの!
染五郎さんなんて末恐ろしすぎてちびるわ。
若くてイケメンはいっぱいいるし、若くて芝居上手いやつやいっぱいいるし、若くてイケメンで芝居できてって最強じゃん。(っていうか、そのイケメン具合もただのイケメンじゃないから!萩尾望都と山岸涼子を足して割らないぐらいよ)
とりあえず、私が見たのは初日なので今後もどうブラッシュアップされていくか楽しみ。
また歌舞伎の未来が楽しみになる、そんなお芝居でした。