ひのきのぼうの沼日記

そう、人生は沼だらけ

滝沢歌舞伎ZERO FINAL in新橋演舞場~面影を追いかけるエピローグ~

滝沢歌舞伎ZEROを見に行った。

 

演舞場入り口の春の装飾も今年が最後か…と思いたいが、なんだかラストという実感がない。
足を運んだのが平日昼間で比較的落ち着いた客層だったせいなのかもしれないが、ロビーでもそんな感じで実感がないまま座席へ。
客席に入った瞬間に、ZEROでは見慣れない吊るしものが目に入る。
私はZEROからの客なのでわからないが、もしかしたら滝沢さん時代をオマージュした吊るしものなのかもしれないと思った瞬間に、FINALという言葉がすぐそばにやってきた気がした。
それでも静かに場内は開演を待つ。

 

ひらりと桜で幕を開けた2時間の中身は、とても語りづらい。
どんな感想を並べても、この空間に対しては無粋にしかならないと思うから。
まるでSnowManから滝沢さんへの答辞のような2時間。
SnowManが「滝沢歌舞伎ってすごいでしょ!滝沢くんってめっちゃすごいでしょ!」とずっと客席に語っているようで、ZERO新規の私にはただただ新鮮で、SnowManを通じて滝沢さんの足跡を辿る2時間でもあった。
歌舞伎好きとしては、噂に聞いていた櫓お七だけでなく、娘道成寺もやっていたのか…。あれもこれも…。松竹に許可を貰って出来ていたのもすごいし、それを一人でこなしていたのが凄すぎる、と驚きの連続。
まるで滝沢さんがいるかのように見える瞬間もあった。
滝沢さんがそこにいて、バックにSnowManがついているように見えるような演出。
岩本さんがフライングで戻ってきた滝沢さんのワイヤーを外し背中を軽く叩いて合図しているように見えたのは、気のせいだったのかもしれないし、気のせいじゃないかもしれない。

 

畳みかけるように続く演目の数々。
厚いアルバムを捲りながら、滝沢歌舞伎の足跡を追体験していく。
そのうちに「これはFINALではなくエピローグなのかもしれない」と思えてきた。
滝沢歌舞伎滝沢歌舞伎ZEROは滝沢さんが離れた時点で、終わっていたのかもしれない。
しかしSnowManにとって恩ある素晴らしい舞台を悲しい幕切れで終わらせてはならないと、9人の「意地」ともいえる覚悟で相応しい最後を用意してくれたのではないだろうか。
9人が身体全体で滝沢歌舞伎の歴史を語るエピローグ。
滝沢歌舞伎が生み育てた自分たちを通しての、滝沢さんへの最大限の恩返しだ。

 

少し個人的なことを語らせてもらうと。
思えば私がSnowManにハマったのはMステの『ひらりと桜』だった。
ひとり明らかに年齢差のある少年のソロパートに続く、お兄ちゃんたちの厚みのある重低音。そのコントラストに心奪われて、足を運んだ。
この曲が無ければSnowManにハマることはなかった。
そんな神曲を演舞場で聞けるのも最後かと思ったら泣けた。

 

歌舞伎パートは、FINALの今年にここまで質が良くなっていながら、これで終わりかと思うととても勿体ない。
特にラウールくんは、ようやく歌舞伎における身体のコントロールに慣れて身体の置き所がしっくり来だしたように感じたのに。
宮舘さんあたりは今後も歌舞伎の舞台への客演があるだろうが、他のメンバーが日本舞踊の基礎から離れてしまうのは、ここまでの進歩が見えたからこそ勿体ないと感じる。

 

ラウールくんのMaybeは、もうそこに苦悩する少年はおらず。青年がもがき絞り出した魂のパフォーマンスは、音の隙間で聞こえる足音や呼吸音までも美しかった。
体力的にきつい中でも仲間に視線を送る余裕まで見えた。
歌舞伎歴は各々違えど、ひとりひとりが大きく成長した舞台。
今回、不安そうなメンバーもいなければ、後ろを向いているメンバーもいない。
これからも滝沢歌舞伎の歴史が続いていくことが一番良かったに決まっているが、堂々と一座を率いる9人がラストステージを飾ってくれたことに私は心からの拍手を送りたい。

 

公演数も少なく、4月末までの短い期間だが、怪我なく無事にフィナーレを迎えられますように。

 

 

出演ジュニアの顔触れが変わり、どの子が誰か認識できずに申し訳ない中、
アンサンブルのバレエダンサーさんと並んでも遜色のないパフォーマンスをしていたJr.の松尾龍くんが素晴らしかった。
流星の音色でお芝居を見ていたので期待はしていたが、やはり合う。
バレエの基礎がしっかりしているので立ち姿が本当に美しく、今後もその爪先の方向を大事にしてほしい。