ひのきのぼうの沼日記

そう、人生は沼だらけ

シネマ歌舞伎 大江戸りびんぐでっど

月に一週間、映画館で歌舞伎を楽しめる月イチ歌舞伎。
今月の大江戸りびんぐでっどを見に行ってきました。

【2009年12月上演作品】

歌舞伎座のさよなら公演で、宮藤官九郎さんを招いての新作歌舞伎。
当時、自分は泣く泣く見に行くことができずずっと心残りでした。
勘三郎さんと三津五郎さんが亡くなって初めて見ることになるとは、夢にも思わなかったです。
もう六年も前の作品になるんですね。

大量発生したゾンビを派遣としてタダ同然で働かせて…という話。
そういえば当時は派遣とか派遣切りとか問題になってたなとしみじみ。
昔からお芝居がその時分の流行りを写す鏡だったということで言えば、舞台は江戸でも色濃く時世を写した作品ってことになりますね。
ちなみに朝ドラクドカンではなくイケイケの深夜クドカン的作品。

【死とは何ぞや】

生きてるし、死んでるし。

なんかそんなタイトルの何かあったよなー、とググったら松尾スズキさんの戯曲だった。
生きているとはなんだ。
死んでいるとはなんだ。
最初はギャグ作品と思ってたけど、終盤はひどく考えさせられる展開でした。

主人公・半助(染五郎)と因縁を持つ新吉(勘三郎)の生への執着。
考えれば考えるほど深い。

新吉の妻・お葉(七之助)の「亡き夫が生き返るわけでもないなら忘れるしかない」との言葉に新吉が「忘れないでくれ」と懇願するのは色々重なって辛かった。
どうしても新吉と勘三郎さんとダブってしまい、心の中で『時間がたっても全く色褪せないし、忘れられるわけないじゃないですか!』とスクリーンの向こうの勘三郎さんに叫んでしまいました。

三津五郎さんも自信のある顔の角度をあんなにアピールして、益々カッコよさを再確認させてきて。
今お休みされている福助さんも、やっぱりああいうちゃっかり女性がハマってるし。

みーんな、忘れられるわけないじゃないですか!

でも、お葉は「忘れない」とは言わなかったです。
むしろその後、新吉の「し」の字もお葉の口から出なかった…
お葉の心中で、最後はどういう結論に至ってエンディングになったのか気になります。

今回りびんぐでっどを見て感じた死の概念は、『人に必要とされなくなり、人に忘れられた時』が死ぬときなんじゃないのかなって。
だから新吉は死んで、半助は生きているのかな。
きっとお葉の言動ひとつで結末は変わっていたでしょうね。

【歌舞伎×クドカン

染五郎さんと七之助さんのコンビに「これが六年後、阿弖流為になるのか…」と考えると、感慨も一入。
勘三郎さんが新しい作家を迎えて若い人にも楽しめる歌舞伎を作り、染五郎さんも今年歌舞伎と現代劇を混ぜるという新しいスタートを切りました。
勘三郎さんの心意気が受け継がれて、それが色んな役者さんの手に渡ってどんどん大きくなっていると感じます。
やっぱりクドカン節満載ということで、確実に好き嫌いはわかれる作品だとは思います。
再三言うけど2009年作品だからね、あまちゃん前のクドカンだからね。
そう考えると歌舞伎座でこういうチャレンジャーな作品を上演できるのはすごいことですよね。
きっとこれで歌舞伎に初めて触れ、歌舞伎にはまった人も多かったんだろうなとは思います。
古典を継承する一方で、こういう新しい門戸を開くのも大事ですよね。

【最後にこれだけ言わせて】

っていうか、七之助さん可愛いわ。
マジ可愛いわ。
当時、まだ二十代か…
なんっていうか、花形だわ…
益々ファンになったわ。




~どうでもいいメモ~
福助さんの台詞で「三陸の海女」というフレーズが聞こえた瞬間「これが4,5年後にあまちゃんに繋がるのか!?」とウキウキした。