ひのきのぼうの沼日記

そう、人生は沼だらけ

歌舞伎ラボ 実験上演

学習院女子大学パフォーミングアーツフェスティバル2014『歌舞伎ラボ 実験上演』を見てまいりました。

歌舞伎の現代劇の違い、共通点を実演を混ぜながら探していくという企画。


古典からコクーン歌舞伎まで、柔軟かつ真摯に取り組む新進気鋭の若手歌舞伎役者・坂東新悟
自身が主催する「木ノ下歌舞伎」で監修・補綴として歌舞伎の現代化を試みる木ノ下裕一、
独特な風貌・世界観で老若男女を演じ分ける俳優の武谷公雄。
(公演チラシより抜粋)


この三者のバランスがとっても素晴らしい。
この三人だからこそできた実演型シンポジウム。

歌舞伎の第一線にいる坂東新悟丈、現代劇の第一線にいる武谷公雄さんを、木ノ下氏が深く斬新な目線で引っ張っていくという。
あの空間、間違いなく古典芸能と現代劇のバミューダトライアングル・黄金の三角形が形成されておりました。
抜け出せない、この魅力!(的な)

もちろん新悟丈の身体には歌舞伎がしみ込んでいるので、木ノ下氏の注文にも柔軟に歌舞伎で答えてくれます。
また武谷さんがオールラウンダーなおかげで、一人で現代劇のジャンル(新劇・アングラetc)をほぼ網羅してしまえる素晴らしさ。
この二人なくして、まずこの企画は成り立たなかったでしょうね。
実演がしっかりしているので見ているこちらもすごいわかりやすい。


歌舞伎ラボは一部、二部とわかれてまして。
一部は、女形や身体表現、台詞、劇構造と、歌舞伎と現代劇を対比させてみるという企画。
武谷さんが平幹二朗白石加代子の演技まで形態模写し、再現するという驚き。
第二部は、歌舞伎の演目『壺坂霊験記』を現代劇にしてみたりとか、歌舞伎と現代劇を同時に演じてみたりとか。

個人的に興味深かったのが、新悟丈による女形の実演。
「内股で、腰を落として腰を入れる、そして肩甲骨をくっつけて肩を落とす」といった歩き方。
歩き方ひとつとっても、お姫様の歩き方・町娘の歩き方とまた違うし。
また、指先の使い方だけで年齢を表現する方法も興味深かった。
歌舞伎の発声法を聞いていると、基本的に腰のあたりが鳴っているなぁと思います。
女形の高い声でも頭蓋骨でなく、下半身、特に腰のあたりが活発に作用しているように感じるのです。
今回の女形の実演で『腰』の重要さが見て取れました。

(ちなみに家に帰ってこれを実践し声を出してみたところ、ところどころですがちゃんと女形の発声に聞こえました)

それに関連して、私が不思議だったのが女形の声の幅。
現代劇(今回は武谷さんが平幹二朗さんの王女メディアを再現してくれました)で男優が女性を演じるとき、声の高低の幅を使います。
声の高低を使うとか言うと難しく聞こえますが、要は普通にしゃべっても心が女なら女に見える。
自分とかだと男を演じるときは声の幅を狭める、女だと逆に声の幅を使うことで男女を演じ分けます。
(宝塚の男役とか音の幅狭いですよね)
でも歌舞伎の女形って高音は使いますが、そこまで高低が顕著じゃない気がします。
高低だけ見ると、男性発声の高低の使い方に近いのです。
それでも女性より女性らしく聞こえる。
不思議です。

もう一つ、興味深かったのが「型の柔軟さ」。
今回の歌舞伎ラボで、新しい発見だったのが「歌舞伎の型って金型じゃない」ってこと。
歌舞伎って型があってそれが美しさに繋がっているわけですけど、その型ってきっちり形が決まって変化しないものだと思ってました。
だけど歌舞伎の型は、実はかなり柔らかい枠組みだったということに気づけました。
柔らかいけど切れない枠。
一見、現代劇の方が自由に動いているように見えるけど、実は歌舞伎の表現の方が自由なんじゃないかと。
今回、舞踊『鷺娘』と現代劇『夕鶴』に見る動物の身体表現の違いを実演してくださったのですが、夕鶴の鶴の姿は形態模写なんですよね。
鷺娘の鷺の方が型にはまっているように見えて、夕鶴の鶴の方が型にはまってる。
そういえば自分、茶道を嗜んでますが、そのお点前も一つ一つが型なんですよね。
でも「こういったらこう。次はこう」というように堅苦しく記号的に型が決まっているように見えて、実はすごい機能的に動きやすいように作ってあるのです。
自分も今現代劇の方に身を置いてますが、今一度「型」というものに注目してみるべきではないのかと思いました。
中村勘三郎さんのように、内の心象表現と、外の身体表現・型がマッチングすると、型というのはとてつもないパワーを発揮するんでしょうね。


第二部、現代劇と歌舞伎のコラボは面白かったですよ。
一人が歌舞伎で、一人が現代語訳(口語)で演じてても、違和感ないんです。
むしろ二人とも現代語より、どっちかが歌舞伎の方が自然に見えるくらい!
おそらく歌舞伎の演技だと『ドラマ』が浮き出るんです。
オーバーリアクションじゃないですけど、日常の風景とっても一つ一つの台詞・動きがドラマを持つので見ていてすんなり入れる。
私はそう感じました。

例えるなら、小さいときお母さんに読み聞かせてもらった絵本。
現代劇が一般的なお母さんの読み聞かせだとすると、歌舞伎は大竹しのぶの読み聞かせ!
ひとつひとつが情感持ちすぎちゃって子供寝れないよ!…的な。
ただ、ドラマが浮き出るために、中身の探求を忘れると形だけのものになってしまう危険もありそうです。



そんな発見もあったりして。



今回のシンポジウムを見て…


結論。










「歌舞伎が現代劇で、現代劇が歌舞伎で。」









「おれがあいつで、あいつがおれで」じゃないよ。


歌舞伎、新派、新劇、アングラ…
歌舞伎の血はアングラにも受け継がれているし、決して歌舞伎と現代劇の間に明確な国境はないのです。

だからちょっとの興味と見方がわかれば、歌舞伎はずいぶん身近にあるのだと思いました。
舞台は好きだけど歌舞伎はちょっと…っていう人にこそ是非体験してほしいイベントでした。
第二弾も是非やってほしいなぁ。






~どうでもいいメモ~

海老蔵さんの知名度歌舞伎座よりすごい。